好き避けする人は、嫌い避けしない。
嫌い避けする人は、好き避けしない。【2ch】ニュー速クオリティ - 好き避けと嫌い避けの見分け方
──アニメ、マンガ、ゲームの業界で働いている人々の何割かは、次々にドロップアウトしていきます。しかし学校を出るときに就職できなかった竜騎士さんは、それでも諦めることなく、コツコツと書き続けてきました。
竜騎士 不思議なものですね。公務員という、もの作りとは異なる世界に行き、一度自分を見つめ直すことができたのも幸いしたんじゃないかと思います。もし私があのとき、ゲーム制作会社に就職できていたら? いまおっしゃられたように、数年でドロップアウトし、星くずのひとつになっていたかもしれない。就活に失敗したからこそ、仕事の合間にでも書きたいと思う心境に至った。そう考えると、いまの自分を作るうえで、私の人生に無駄なことはなかったと思えるんです。公務員の経験は直接的に生きています。『ひぐらし』での沙都子への虐待における児童相談所の対応は、職員研修に使ってもいいんじゃないかというくらい、リアルにできている。役所ほどいろいろな世代の人々が集まる場所はありません。お店にも入れないような辛い境遇の方もいらっしゃるんです。人間というものについて学ぶことができました。
ryukishi03.jpg──就活当時のご自身を、未熟だったと省みていらっしゃるようですが……。
竜騎士 おそらく就活をしていたときの私は、巨大なゲーム制作会社に願書というボールを送り、採用というボールを返してほしいと思っていた。箔のつく肩書きが欲しかったんでしょう。ボールは届きませんでした。投げる方向が違っていた。ほんとうはユーザーに向かって投げるべきだったんです。ゲーム制作会社に認めてほしいという甘ったれた考えで、ボールが届くはずがない。本当にゲームを作りたいやつは願書を書く前に、自分でゲームを作っていますよ。会社に入るのは就職であって、それが即ち創作ではない。当時の私は自分のゲームを他人に作ってもらおうと、頼る気持ちがあった。例のゲーム制作会社さんには感謝しています。そんな男を採らないでくれて本当によかった!
──「そんな男を採らないでくれて本当によかった」「当時の自分は甘ったれていた」という、謙虚な気持ちになれず、苦しんでいる作り手もいると思います。もし竜騎士さんからおっしゃっていただけることがあれば、一言お願いします。
竜騎士 趣味で喰おうと思わないほうがいいかもしれないな。趣味で喰わなければならない、という昭和からの妄執があるような気がするんです。その妄執から逃れている趣味のひとつが釣りです。釣りを趣味にしている人は、釣りでお金を得ようとは思わないですよね。お給料で買ったリールを持ち、長期休暇をとって島へ行き、思う存分釣りを楽しむ。もの作りの路を進むにあたって悩んでいる人は、いま持っている趣味を釣りのようなものだと思ってほしい。そうすれば、仕事をしてでも続けられる、と思えるじゃないですか。二足のわらじでもやっていけるくらいの根性がなかったら、制作の仕事はやっていけないですよ。副収入が本業の収入を上回りそうなら、そのときプロになるかどうか、考え直せばいいんだと思います。働くと嫌な仕事に耐える根性がつくから、もの作りに生きてくるんですよ(笑)。
「制作会社に採用されなくてよかった」原作者・竜騎士07の挫折と下克上(後編) - 日刊サイゾー
──公務員は社会的には認められた地位にありますよね。退職するにあたって、相当迷ったのでは?
竜騎士 悩みましたよ。趣味で喰えるという保証はない。一方、公務員はお給料がいい。いちばんいいのは本業と趣味の両立だったのですが、これが難しかった。皆さん公務員は暇だと思っていらっしゃるかもしれませんが、実はかなりの激務なんです。作品の執筆が遅れてしまい、両立することができなくなった。図らずもその頃は『ひぐらし』の評価が上がってきていて、ユーザーの方に次作をお待ちいただく状況になっていた。忙しいからといって休筆することはできなかったんです。そこが人生の岐路でした。一歩を踏み出した時点では喰っていけるかどうか、不安でいっぱいでした。
「制作会社に採用されなくてよかった」原作者・竜騎士07の挫折と下克上(後編) - 日刊サイゾー
──クリエイターとして立とうと思ったときに、制作会社に就職できなかったのはひとつの「挫折」だったのでしょうか。
竜騎士 私にとっては挫折でしたね。新卒でゲーム制作会社に落ちて。これでダメならこの業界では働けない、と思っていたんですよ。「中途採用」なり「浪人」というあり方すら浮かんでこなかった。クリエイティブな業界を諦めようと公務員になったのですが、2年、3年が経つと、沸々とした思いがこみ上げてきたんです。やはり自分はものを作らなければ生きていけない、と。このままではたとえ死んでも、自分の痕跡が何も残らない。そう気付いたある日、悲しくなって。自分が確かにここにいたという何かを残したいと、焦燥感ともフラストレーションともつかない感情が湧き上がった。20代中盤の頃でした。しかし何を作ったらいいかがわからない。マンガは描いてみたけどダメだったし、アニメとゲームもモノにならなかった。そうした試行錯誤を始めてから何年も経って、ようやく出会ったのが舞台脚本でした。それも実らず、最後にはサウンドノベルに辿り着いた。だからいきなりサウンドノベルの『ひぐらし』を作ったんじゃないんです。舞台脚本を書いてから1年後のことでした
「制作会社に採用されなくてよかった」原作者・竜騎士07の挫折と下克上(後編) - 日刊サイゾー
──作りたいものを作って受け入れてもらえた、数少ない成功例のうちのひとつなのではないですか。
竜騎士 たしかに、ゴハンを食べていこうと思うシナリオライターの人たちに、好きなものを作れとは助言しづらい。私がいまこうして取材を受けているのも運がよかったからで、決して文才があったからではないのだと、肝に銘じています。好きなものを思い切り書いているから売れているんだと、寝ぼけたことを言うつもりはありません。しかし人に喜んでもらおうと思うと、どうしても顔色を窺った、おっかなびっくりな書き方になってしまう。書いていることそのものが楽しくないと宿らない「すごみ」を得るために、私はこれからも自分が書いていて楽しいものを書くでしょう。自分がその物語の最初の体験者である、と感じでもしなければ、何十万文字も何百万文字も書いていられません(笑)。書くことが楽しいという原点は忘れないようにしたいと思います。
「制作会社に採用されなくてよかった」原作者・竜騎士07の挫折と下克上(後編) - 日刊サイゾー
ホーム > ライフ・健康 > 現代人に突きつけられた「うつ」というメッセージを読み解く
現代人に突きつけられた「うつ」というメッセージを読み解くこのページを印刷
バックナンバー一覧
泉谷閑示(精神科医)
【第2回】 2009年10月15日
* 1
* 2
* 3夏目漱石は「自分がない」空虚な状態からどう脱したのか?――「自己本位」の発見
――自分が本当は何がしたいのかわからない。
前連載(「うつ」にまつわる24の誤解)の第16回でも取り上げましたが、現代の「うつ」において、このような悩みが浮上してくるケースが非常に多くなってきています。
今の社会では、幼い頃から「やらなければならないこと」を休みなく課せられてくることが多く、なかなか、ゆっくりと「やりたいこと」に思いを巡らす余裕が与えられていません。
そのうえ、外から「与えられる」膨大な知識を次々に記憶し、「与えられた」方法で要領よく情報処理することを求められるために、人々の多くは、「自分は何をしたいのか?」「これは本当に自分がやりたいことなのか?」といった問いを持つこと自体に、不慣れになってしまっているようです。
しかしながら、このように「主体」を見失ってしまったという悩みは、現代人のみに見られる新しいテーマというわけではありません。これは、近代的自我の目覚め、つまり「主体」として生きたいと真摯に願う人間であれば、昔から避けては通れないテーマだったのです。
今回は、この苦悩に直面した代表的な人物として夏目漱石を参考にしながら、現代の私たちが、失われた「主体」をいかに回復できるかという問題について考えてみたいと思います。
漱石の感じていた「空虚さ」私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです。(夏目漱石『私の個人主義』中公クラシックス版より)
夏目漱石は、若い頃から内面に「自分が何をしたいのかわからない」という「空虚さ」を抱えていました。
大学で英文学を専攻して学んでみても、漱石には、文学がわかったという手応えが得られない。卒業して成り行きで教師になってはみたものの、その仕事にもまったく興味が持てない。そんな悶々とした状態で過ごしていたところに、突然文部省から英国留学を命ぜられたのです。漱石33歳、明治33年のことでした。
慣れぬ異国の地で、彼の「空虚さ」は解消するどころか日々増幅するばかりで、いくら本を読んでみても、ロンドン市内をうろついてみても、一向に晴れる気配はありませんでした。そうして漱石は、ついに強度の神経衰弱、今日で言う「うつ」状態に陥ってしまったのです。
漱石が神経衰弱にいたったこのような経緯は、現代の「うつ」においてもとてもポピュラーなパターンだと言えます。
進学や就職に際して、実のところ特にやりたいことがあるわけでもないままに、何となく流されて選択して進んでしまう。そして、与えられた勉強や仕事はそれなりにこなすけれども、特別やりがいを感じるわけでもない。そんな日々を重ねて行くうちに、ある時ふと「自分はいったい何をしているんだ?」「これが自分の望んだ生き方なのか?」「なぜ働かなければ(勉強しなければ)ならないんだろう?」といった疑問がわき上がってくるようになり、それがじわじわ強まって、ある日とうとう動けなくなってしまうというパターンです。
page: 2
夏目漱石は「自分がない」空虚な状態からどう脱したのか?――「自己本位」の発見――自分が本当は何がしたいのかわからない。
「他人本位」だったとはどういうことか?ロンドンに留学して1年が過ぎ、陰鬱な苦悩がいよいよ極まった頃、漱石はある大切なことに気づきます。
自分はこれまで「他人本位」だったのではないか、そして、それこそが「空虚さ」や不安の根本原因だったのではないかということです。
今まではまったく他人本位で、根のない萍(うきぐさ)のように、そこいらをでたらめにただよっていたから、駄目であったということにようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似をさすのです。(~中略~)ましてやそのころは西洋人のいうことだといえば何でもかでも盲従して威張ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴して得意がった男が比々(どれもこれも)皆是なりといいたいくらいごろごろしていました。(~中略~) つまり鵜呑みといってもよし、また機械的の知識といってもよし、とうていわが所有とも血とも肉ともいわれない、よそよそしいものをわがもの顔にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞めるのです。(同前)
漱石のこの「他人本位」についての言葉は、大正3年の講演で語られたものですが、今日においてもまったく古さを感じさせません。
「むやみに片仮名を並べて」「鵜呑み」「機械的の知識」などと評されていることは、現代においてもそっくりそのまま当てはまりそうです。しかも、「鵜呑み」で「機械的の知識」をたくさん詰め込むことが積極的に奨励されるような風潮は当時よりもいっそう過酷なものになってきており、今日も脈々と「他人本位」の人間が作り続けられています。
そして、この「他人本位」の傾向が、現代においても「うつ」をひき起こしている大きな原因の1つであることは間違いありません。
「他人本位」から「自己本位」への脱出さて、「他人本位」が自身の根源的な問題であると気づいた漱石は、「自己本位」こそが「空虚さ」から脱出する鍵を握っているに違いないと考えました。つまり、外から無批判に「鵜呑み」で受け入れた「よそよそしい」知識や価値観を用いて生きるのではなく、丁寧に吟味し咀嚼して「わが血や肉」と呼べるものを自分の中に養成し、それにもとづいて生きる生きかたに目覚めたわけです。
私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってからたいへん強くなりました。彼ら何者ぞやと気概が出ました。(~中略~)その時私の不安はまったく消えました。私は軽快な心をもって陰鬱なロンドンを眺めたのです。(同前)
page: 3
夏目漱石は「自分がない」空虚な状態からどう脱したのか?――「自己本位」の発見――自分が本当は何がしたいのかわからない。
この「自己本位」への覚醒によって漱石は主体的な生を回復し、「うつ」状態から徐々に脱していくことができたのでした。そして、それは同時に作家・夏目漱石を誕生させる出発点にもなったのです。
このような目覚めは、漱石という選ばれた人間にだけ起こった特別な経験なのではありません。「うつ」から真に脱することに成功した人たちは、やはり例外なく、ある時点で「自己本位」に目覚める経験をしているのです。
漱石の遺した熱いメッセージこのように「他人本位」から「自己本位」に脱し、自身の神経衰弱を克服した漱石は、次代を生きる若き聴衆に向けて、次のように熱く語りかけています。
ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたははじめて心を安んずることができるのでしょう。(~中略~)もし途中で霧か靄(もや)のために懊悩していられるかたがあるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘り当てる所まで行ったらよかろうと思うのです。(~中略~)だからもし私のような病気に罹った人が、もしこの中にあるならば、どうぞ勇猛にお進みにならんことを希望してやまないのです。もしそこまで行ければ、ここにおれの尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自
夏目漱石は「自分がない」空虚な状態からどう脱したのか?――「自己本位」の発見 | 現代人に突きつけられた「うつ」というメッセージを読み解く | ダイヤモンド・オンライン
今まではまったく他人本位で、根のない萍(うきぐさ)のように、そこいらをでたらめにただよっていたから、駄目であったということにようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似をさすのです。(~中略~)ましてやそのころは西洋人のいうことだといえば何でもかでも盲従して威張ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴して得意がった男が比々(どれもこれも)皆是なりといいたいくらいごろごろしていました。(~中略~) つまり鵜呑みといってもよし、また機械的の知識といってもよし、とうていわが所有とも血とも肉ともいわれない、よそよそしいものをわがもの顔にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞めるのです。私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってからたいへん強くなりました。彼ら何者ぞやと気概が出ました。(~中略~)その時私の不安はまったく消えました。私は軽快な心をもって陰鬱なロンドンを眺めたのです。ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたははじめて心を安んずることができるのでしょう。(~中略~)もし途中で霧か靄(もや)のために懊悩していられるかたがあるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘り当てる所まで行ったらよかろうと思うのです。(~中略~)だからもし私のような病気に罹った人が、もしこの中にあるならば、どうぞ勇猛にお進みにならんことを希望してやまないのです。もしそこまで行ければ、ここにおれの尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握ることができるようになると思うから申し上げるのです。(
世の中にはやたら、「**歳までにすべきこと」みたいな本が氾濫してるのな。こういう「**歳までには**を」みたいなシリーズって
「**歳の男/女の人生はこうなっているもんだ」という
同質的な「**歳」の存在が前提となってるわけでさ・・・なーんか、気持ち悪い。金太郎飴みたい。
何歳までに何々を。 - じょん・どー スピンドクターからドクターへ(のはるかなる道のり)! - 楽天ブログ(Blog)
一万時間続けよ(毎日8時間でも3年以上、週40時間でも250週 = 5年かかることになる。勤務時間=取り組む時間はまず無理なので、半分=4時間とすると、だいたい10年という数字が出てくる)あなたが3日坊主で終わる理由。あるいはメンヘル療法。 - teruyastarはかく語りき
疲れないように走る奴がより遠くまで行けるんです。あなたが3日坊主で終わる理由。あるいはメンヘル療法。 - teruyastarはかく語りき
今、遊びに費やそうとしているお金を一日100円でもいいから自分の体のために使うべきだ。自炊もいいけど、食費をただ安くするためだけならば逆効果です。自炊で栄養が偏るくらいだったら体にいいお惣菜を買う方がずっといい。
本当に体にいいものを少しでもいいから今以上のお金を出して買ってほしい。今こそお金の使い方を学び賢い経済感覚を身につけて欲しい。
玄米:一言ブログ:So-net blog